40代後半で失業、その後3回転職した私の話(1)

私は40代後半で仕事を失いました。

そのあと菓子製造の仕事を1年、介護の仕事を12年続け、

今は特別支援学校で講師として働いています。

振り返ると正直、厳しい15年間でした。

それでも60代になった今、「ようやく落ち着いた」と思える仕事に出会えたと思っています。

失業したとき

離婚後に正社員として就職した建設関係の会社。

その会社で事務を13年続けていました。

47歳の時にその会社が倒産しました。

目の前が真っ暗になるというのはまさにこのことでした。

2人の息子はすでに就職して家を出ていたので、そのことだけが救いでした。

しばらく何もする気が起きず、失業保険をもらいながら家でゴロゴロしていました。

仕事を見つけなければならないと思いながら、どこか「何とかなる」と逃げていた自分がいました。

再就職のきっかけ

失業保険が13万円くらいありました。

市営住宅に住んでいて家賃は安く、ぜいたくしなければ十分に生活できる金額でした。

でも、永遠にもらえるお金ではない。

家でゴロゴロするのにも飽きた。

第一、家でじっとしているのは自分に合わない。

失業して4か月、「仕事をさがそう」そう思いました。

そんな時、実家で見た新聞の折り込みに掲載されていた『菓子製造』の求人が印象に残りました。

勤務地が家の近くで徒歩で行けること、正社員であることも安心材料でした。

面接に行き、すぐに採用となりました。

1年余りで転職

いざ、菓子製造の仕事に就いてみると、毎日同じことの繰り返し。

そして、誰からも感謝されないやりがいのなさ。

でも、やっぱり一番つらかったのが、給料の少なさでした。

正社員と聞いていたのに、750円の時給制。

1か月働いても社会保険を引かれると10万そこそこ。

初めてもらったボーナスは5千円でした。

「これでは生活できない」

転職を決意しました。

介護の世界へ

50歳近い私を雇ってくれる仕事は何だろう?

そう考えた時に、一番最初に思い浮かんだのは『介護』の仕事でした。

介護ってお年寄りの世話をするんだよね?

汚い仕事、きつい仕事とは聞くけど、だからこそ、給料が多いのでは。

求人票に書いてある給料は、菓子製造の仕事よりもずっと多かった。

新聞の折り込みで見つけた介護の求人には

「資格はいりません」

と書いてありました。

「できるかどうかわからないけど、とにかくやってみよう」

「何とかなる」

そんな気持ちで、介護の世界へ飛び込みました。

介護という仕事の過酷さ

特別養護老人ホームというところが私の職場でした。

ほとんどすべてのお年寄りが認知症。

仕事は分刻みの忙しさ。

汗びっしょりになって一日立ちっぱなしで働く毎日。

認知症のお年寄りに対応するのはかなり根気がいりました。

イライラすることの方が多かったです。

それでも3か月頑張って働いたおかげか、夜勤に入ることを認められました。

介護という仕事は夜勤をしなければ給料が厳しいのです。

夜勤に1か月4回入れば、それだけで給料が3万以上プラスになるのです。

一晩中起きているというのは、想像以上にきつかった。

給料は夜勤手当を含んで、手取り16万くらいになっていました。

ボーナスは手取りで35万くらい。

介護の仕事をしている人に支給される処遇改善金が、年に1度40万くらいありました。

病院に転職するきっかけ

介護の世界は人間関係が悪いと言われています。

それはなぜか。

キツい、汚い仕事でみんな疲れているのです。

新人さんにきつく当たって、反応を面白がったり、

ターゲットを決めて、その人のあらさがしをして、皆んなでいじめたり。

そうして、ストレスを発散させている。

人間として最低の職場でした。

最初はイヤな思いもしましたが、気の合う友人もできました。

数年たっても仕事はきつくなるばかり、新しい人は入ってこない、人間関係は悪くなるばかり。

転勤のない職場は停滞してよどんでいました。

人間関係がよくない職場にいるのは、精神がすり減っていく感じでした。

かと言って、他の業種に転職できるわけもない。

その頃、「もう、自分にできる仕事は介護しかない」と思っていました。

介護なら、何歳になってもできる。

人手不足だから。

でももう、ここでは働きたくない。

同じ介護でも、病院ならどうだろう?

転職を考えた時、55歳になっていました。

 

 

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました