子供の頃の貧乏話

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私の父は公務員で、母は専業主婦。

家の経済状態はそれほど悪くなかったと思います。

貧乏ではなかったはずなのに、子供の頃はあまりいい思いはしたことがありませんでした。

それは母が田舎の出で、とにかくケチくさかったから。

お金を使うことを知らなかったという方が正しいかもしれません。

おやつと言えば、母が小麦粉に砂糖を入れて揚げたドーナツばかり。

誕生日を祝ってもらったことはなく、もちろんクリスマスプレゼントもありませんでした。

ケーキを食べるのは、クリスマスの時だけ。

そして、一番イヤだったこと。

靴下って、親指のところだけ穴が開きがちですよね。

母はケチなので、「親指だけ穴が開いてるだけで、あとはどうもなってない」とか言って、

穴のところだけ糸で縫ってつくろうのです。

でも、手縫いだし、ぼこぼこしていて、縫ったことがはっきりわかる。

ほとんど全部の靴下がその状態。

その靴下を学校に履いていくしかないのですが、体育館での朝礼などで靴を脱がなければならないことが結構ありました。

そんな時は、人にバレたくなくて、指を全部ずーっと内側に曲げたまま立っていました。

それからプールの授業の時。

体を拭くのに、バスタオル持ってきますよね。

実家はお風呂の時、バスタオルは使わず、普通の白いフェイスタオルを使っていました。

そのタオルは酒屋さんとかお米屋さんでもらった〇〇酒店とか書いたやつ。

唯一家にあったバスタオルは、親戚の結婚式でもらった『寿』とでっかく書かれていて、鶴と亀の絵が描かれているものでした。

昔はそういう絵柄が結構多かったみたいです。

それを学校のプール授業に持っていけと母は言うのです。

中学の時も高校の時も。

年頃の女の子に寿の鶴の絵ですよ。

バスタオルって昔はかなり高価でした。

今でも高いけど。

学生の私が「こんなの嫌だ」と言って、自分で買えるようなものではありません。

しかたなく、更衣室の隅っこの方で、バスタオルを裏返しにしてささーっと使っていました。

誰からも『寿』を指摘されたことはなかったけど、恥ずかしくて嫌でたまりませんでした。

大人になったらブランドのタオルをいっぱい買ってやる

と心の中で誓っていました。

母は子供の気持ちを考えてくれるような人間ではなかった。

貧乏性というか、ケチというか、田舎の人なのでそういう感覚がわからなかったのかもしれません。

ケチだったからこそずっと専業主婦でも、私も弟も奨学金も受けずに、短大や大学に行けたのでしょう。

ただ、本当に世間知らずで「こんな大人にはなりたくない」と私はずっと思っていました。

私が生涯働き続ける人生になったのは、母を反面教師にしたせいかもしれません。

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