たくさんのことを選択する毎日

中に茶色の液体が入った白い陶器のマグカップ

人は選択を繰り返して毎日を生きています。

今日、買い物に行くのか、行かないのか、美容院に午前に行くか、午後に行くのかという小さな選択や

車を買うのか買わないのか、マイホームをいつ、どこのメーカーで、どこに買うかなどの大きな選択まで。

私たちは毎日何らかの選択を連続して行っています。

大きな選択をするとき、よく考えて決断し、行動し、そしてよい結果が得られれば素晴らしいことですが、そう思えることは稀だと思います。

今の結果がよいものと思えても、もう一方を選んでいたらもっといい結果が得られたのではと思ってしまうからです。

何かを選択するということは、それ以外の選ばなかったものを「捨てたり」「あきらめたり」することですから。

選ばなかったものを何かの折に思い出し、思いを寄せ、あれやこれやと考えるものです。

それはごく自然なことですし、そうやって考え、自分の中で消化するのはよいことだと思います。

選ばなかった選択肢に色々な思いをはせることは、もしかしたらこれからの人生をよりよいものにしてくれるかもしれません。

もしかして、選ばなかったものがどうしても忘れられないということもあるかもしれません。

そんな時は身近な人にでも、占い師にでも話してみればどうでしょうか。

ああ、そんな考え方もあるのか、とふっきれるきっかけが見つかるかもしれません。

私もかつて、様々な大きな選択をしてきました。

25年以上前の離婚も、誰から言われたわけでもなく、自分の選択です。

これは今でも間違っていなかったと思っています。

そして、3年前の中古マンション購入。

ずっと賃貸のままの予定だったのに、これも私にとっては大きな選択でした。

予算に限りがあり、大満足の住まいではないですが、おおむね満足しています。

そして、転職。

50歳を過ぎて思い切って病院に転職したことも、大きな選択でした。

そのまま老人ホームに勤め続けることもできたけど、あまりにブラックな環境に嫌気がさして。

年齢を重ねての転職は精神的にとてもつらかったけど、今はよい選択をしたと思っています。

私たちにとって身近な病院という所がどんな所なのか知ることができたし、自分の病気を発見することもできた。

人の「生き死に」について考えるきっかけを与えてくれた場所でした。

そしてたくさんのかけがえのない同僚たちと出会えたことも大きな財産です。

そんな勤め先から今また、転職しようと考えています。

小学校の講師登録願いを出していた教育委員会から、今日電話があり、明日面接に行きます。

「私のような年齢でも大丈夫でしょうか」

と不安になって尋ねると

「もちろんです。こちらには70歳以上の先生もおられますよ」

と担当の方は言って下さいました。

できれば、今年いっぱいで病院を辞め、来年早々にも講師として働きたいと考えています。

この選択にも間違いはないと、今は思っています。

明日、いよいよ面接です。

頑張ってきます。

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