以前、人生会議というポスターが話題になったことがありましたね。
タレントの小籔千豊さんが病院のベッドに酸素吸入器をつけて横たわり、心電図の波形がフラットになりそうになっているというポスターで、驚いた方も多かったのではないでしょうか。
しかし、このポスターに対する批判が集中し、厚生労働省は自治体へのポスターの発送を見合わせたそうです。
患者や、患者の家族に対する配慮がない、という批判が多かったようです。
人生会議は英語ではアドバンスケアプランニングと言われています。
医療を受ける際は本人が納得する医療を受けることが原則ですが、大きな病気やケガになるとその時の状態によっては自分の意思を伝えられなくなることがありますよね。
そうした時に受ける治療やケアに関する考えを、本人が家族や信頼できる人、医師などと共有すること。
これがアドバンスケアプランニングです。
しかし、これには賛否両論があります。
親が元気なうちにこんな話はしにくい、縁起でもないと言われるなどの意見。
そもそも、救急車で運ばれた人、特に高齢者がどのような経緯をたどり寝たきりになるのか、知識がない、などの問題もあります。
私は人生会議を行うことは大切だと思っていますし、自分の意思を子供に伝えておこうと思っています。
このポスターを批判する人たちは、病院で寝たきりになっている人を見たことがないからではないでしょうか。
面会に行って会っている人もいるかもしれませんが、毎日毎日一定時間お世話をしている職員から見れば、寝たきり高齢者はあまりにかわいそうです。
寝たきりの人たちがどんな状態になっているか。
まったくしゃべることはできず、ずっと目を閉じている。
食事はできず、胃から直接栄養を入れていたり、もしくは鼻に管が入っていて鼻から栄養を入れてもらっている。
おむつを日に何度も交換してもらう。
便秘の時は下剤を入れられ、大量に漏れ、職員たちは「わぁー」と大騒ぎしながら処理する。
歯を磨いてもらい、お風呂に入れてもらう。
すべて、職員にやってもらわなければ何もできません。
ただ、じっと横になっているだけの高齢者たち。
これで、生きていると言えるのか。
こんな姿で命を長らえることを本人は望んでいたのか。
家族が少しでも長く生きてほしいと望んだ結果、このような姿になってしまったのでしょう。
誰しも、他人におむつを替えてもらったり、裸をさらしてお風呂に入れてもらったりするのは、恥ずかしいですよね。
自分で動くことも食べることもできず、日がな一日寝ているだけの毎日はどれだけつらいでしょうか。
語弊があるかもしれませんが、私はただ生きているだけの、こんな寝たきりの生活なら、死んだ方がましだと思います。
他人におむつを替えてもらうような羞恥をさらすくらいなら、死んだ方がましです。
こんな考えの人は多いと思います。
あなたの親御さんも同じ考えかもしれません。
それなのに、倒れて救急車を呼んだら延命処置をされて、そのまま寝たきりの生活になってしまう人がどれだけ多いことか。
こんな悲劇を生まないためにも、人生会議をしませんか。
親御さんに聞いてみて下さい。
「縁起でもない」
と言われてもいいじゃないですか。
「寝たきりになっても延命処置をしてもらいたい?」と。
多分、そのまま逝かせてほしいという人がほとんどだと思います。
どんな姿になっても、生きていてほしい、少しでも長く生きていてほしい、後悔はしたくない。
それは残される人のエゴではないかと思います。
人は自然の摂理にそって、自然に死んでいくのが一番いいと私は思います。
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