元夫の繰り返される借金、生活苦。
私の信頼を何度も何度も裏切る、元夫の行動と言動。
私はこの先この人と一緒に暮らしていけるのか。
いや、無理だ。
離婚したいけど、生活できないから我慢しよう。
片親だと子供がかわいそう。
離婚という言葉が頭をよぎるけど、私さえ我慢すれば…という人は多いのではないでしょうか。
もちろん、それは本人が決めること。
私の友人に旦那さんが借金を繰り返すという人がいました。
結婚前に100万円ほど借金を肩代わりしたのに、結婚後も借金を繰り返し、もうどうにもできないところまできて、借金を任意整理したそうです。
その時彼女は「それでも旦那のことが好き、私がいなければこの人はダメになる」と言いました。
すでに離婚していた私は彼女に言いました。
「それなら旦那さんと一緒に頑張れるよ。私はもう完全に見放したから別れたけどね。好きという気持ちがあるうちは別れられないと思う」
彼女は今もその旦那さんと一緒にいるし、仲もよいようです。
最近借金したという話は聞いてませんが、私は借金癖のある人は何度でも同じことを繰り返す、と思っています。
夫の借金で自分の生活まで脅かされるなら、離婚した方が賢明だと思うのです。
私が離婚した時は結婚7年目で、1年前に新築マンションを購入していました。
その頃、元夫は消費者金融に200万以上の借金があり、返せなくなると他社から借りるという自転車操業を繰り返していました。
夫の言い分は、「マンションとか車のローンがあって、借金するしかなかった」「小遣いが少なかった」
見栄を張って後輩と飲み歩いておごったり、仕事の帰りや休みの日にパチンコ通いをしていることは棚に上げて、収入が少ないのにローンの支払いがあり、仕方なかったとの言い分でした。
確かに新築マンションや新車の購入は無謀だったかもしれません。
しかし、まだ若かった私達は二人で働けば何とかなる、と思っていました。
それは元夫が毎月のローンを考えた上での小遣いで我慢することが前提でした。
しかし、実際元夫のお金の使い方は変わらず、毎月のローンは厳しく、生活はカツカツ。
お金の話になると、大声を出してそこらへんにある物を投げたりひっくり返したり、暴れるのです。
話し合いにはならず、恐怖に支配されました。
源泉徴収票を改ざんして、新たな借金ができるようにするという、怪しげな業者にひっかかり、新たな借金を背負うことになったり。
マンションと車の支払いができなくなり、銀行はもちろん、消費者金融からの矢のような督促の電話が勤務先にかかり、元夫は会社にいられなくなり、退職を余儀なくされました。
手に職があったので転職先には困らなかったのですが、給料は下がりました。ボーナスもありませんでした。
そのせいでマンションや車の支払いができず、消費者金融の返済もできず、もうどうにもならなくなって、夫の親戚や実家に相談し支援してもらい、どうにか一括返済しました。
一括返済したつもり、でした。
まだ借金は残っていたのです。
少したつとそれが次第に膨らんでいきました。
新たに借金をしたのかもしれません。
返済してくれるお客さんは消費者金融にとってはいいお客さんですから。
借金する人は借金額を尋ねても全額を言わないそうです。
新しい職場の給料は当初思っていたより少なかったようで、元夫は私に黙って給料の前借りをし、私に対してプライドを保っていました。
そのうち仕事に行くふりをして、私が作った弁当を持ってパチンコ屋に行き、弁当の中身を捨てて帰っていました。
梅干しの種やバランが弁当箱に残っていなかったのでわかったのです。
いつの間にかその会社も退職していました。
新しい仕事を一緒に探しました。
私のカードでスーツを新調し、学習教材を営業する仕事に挑戦したけど、うまくいかず。
この人とこのまま一緒にいても、子供も私も不幸になるだけと悩んで考えました。
一緒に借金を抱えて生きていくなんてイヤだ。
その頃パートでの収入しかなかった私でしたが、ある日突然、子供を連れ、置手紙をして、家を出たのです。
子供は上が小1、下が年中でした。
引っ越し屋に子供と自分の物だけを引っ越し先に運んでもらいました。
その頃小1だった長男が通っている小学校に父の車で迎えに行きました。
長男には前日に親が離婚することと転校のことを伝えており、担任の先生にももちろん伝えてはいました。
長男は皆とのお別れの時、泣きもせず、笑顔を見せていました。
本当は寂しかっただろうに、無理に笑顔を作っていたように見えました。
車に乗って出発した時、同級生たちが走って追いかけてくれて、それを見ていつまでもいつまでも手を振っている長男を見て、涙が止まりませんでした。
新しい生活が軌道にのるまで、実家に身を寄せました。
長男が実家の仏壇に手を合わせ、「お父さんに会わせて下さい」と願っていた時、この子にとって父親は大切な存在なんだ、それを奪ってもいいのかと思い、子供が不憫でどうしようもなくつらかった。
毎日寝る前、涙で枕を濡らしていました。
離婚することに迷いがあったのか、子供から父親を奪ってしまうことに申し訳なさを感じたのか。
色々な感情が湧きおこり、毎晩泣いていました。
1週間ほどたって、引っ越し先に親子3人で移り住みました。
11月でしたが、その日は急に寒くなった日で、木造の古い小さな家は今まで住んでいたマンションと違い、寒さが身に沁みました。
暖房器具もなく、親子3人、布団を全部出して着て、抱き合って寝ました。
数日たった頃、元夫が長男の通う小学校を探し当て、昼休みに長男に会っていることがわかりました。
先生に父親に会わせないようにお願いしましたが、「学校は公共の場なので、そのような希望は受け入れられません」との返答。
そんな時、「友達の家に行く」と長男が次男を連れて出かけていき、夕方5時を過ぎても帰らず、その友達の家に行ってみたけど、子供達はおらず。
元夫が2人を連れ出していたことがわかりました。
遅く帰ってきた長男に「嘘をつかれてお母さん、悲しかったよ」というと、長男は「だってお父さんに会いたかった、ごめんなさい」と泣きながら言いました。
私の両親の助言もあり、調停が終わるまでは元夫に子供達を会わせたくないと思っていましたが、子供達を親の感情の犠牲にするのはよくないと考え直し、会うことを承諾しました。
それから土曜日の夜元夫は2人を迎えに来て、日曜日の夜に帰ってくるようになりました。
いつもたくさんのおもちゃを持って帰ってきました。
私は毎週寂しい週末を送りました。
養育費の払いを約束してもらうため、離婚を成立させるために調停を申し立てました。
調停員は話は聞いてくれるものの、離婚はしない方がいい、子供達がかわいそうだとしか言わず、私の気持ちに寄り添ってはくれませんでした。
離婚が成立しないと、児童手当ももらえません。
調停に足を運んだのは2回だったと思いますが、どういうわけかあんなに離婚を拒んでいた元夫が離婚を承諾し、調停成立し、離婚が成立しました。
元夫は自己破産し、マンションは競売にかけられたようです。
養育費は毎月5万円と決定しましたが、それは最後まで払われることはありませんでした。
元夫の言い分は、「現金を渡すと何に使われるかわからない、食事をさせたりおもちゃを買ってやるほうがいい」
家を出た頃、私はパートに就いていましたが、とある会社の事務員の面接を受けて無事正社員として採用されました。
子供達が小学校低学年までは、元夫はしょっちゅう家に来て、上がりこんだり、私も交えて食事に行ったりしていました。
別に未練があったわけではなく、子供達が喜ぶからそうしていただけでした。
しかし、子供達が成長するにつれ、元夫はあまり来なくなりました。
次男が就職する時、元夫がスーツを買ってくれるというので、4人で一緒にお店に行きました。
その時の元夫の姿はずいぶん年をとってやつれていました。
着ているダウンも傷んでいて、黒なのに白っぽくなっていて不潔感もある。
一体どんな暮らしをしているのか、哀れに感じました。
元夫は離婚後、パニック障害を患い、仕事ができなくなって、生活保護を受けて生活していたようです。
その後、私自身は会っていませんが、息子たちとは少し交流があったようです。
長男は友達とのルームシェアを経て、短期間ですが元夫と一緒に暮らしていました。
しかし、同居はうまくいかず、長男自身への影響があったので私が長男を呼び寄せ、転勤するまで同居していました。
長男と元夫が一緒に住んでいた時も、元夫は長男やその友達にお金を無心していたらしく、長男は怒り、以後交流を絶ったようです。
お金にだらしないのは、やはり変わってなかったようです。
でも、今でも時々元夫のことをどうしてるのかな…と心配になることがあります。
器用で仕事ができる人で、気前がいい人。いいところもいっぱいあったのに。
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