若者は結婚式をしたくない?
テレビを観ていたら、最近結婚式離れが起きているとのこと。
「ナシ婚」というそうです。
コロナの影響もあると思いますが、2年前の2020年、披露宴も食事会も写真撮影もしていないカップルは30%近くに上ったそうです。
結婚式を挙げたくない人は6割に上り、理由は
「主役が苦手」
「結婚式のお金を他に回したい」
「準備が大変そう」
「ゲストの問題が難しい」
などがあげられていました。
主役が苦手だというのは意外。
一生に一度、自分が主役になれるのは結婚式なんて言っていた私たちの世代。
親にウェディングドレス姿を見せるのが、親孝行だと思っていました。
実際、今の親世代も子供の、特に娘の晴れ姿が見たいという人が多いのではないでしょうか。
そして、お金の問題。
確かに結婚式なんて今や300万も400万もかかる。
呼ばれる方もお祝いが大変。
たった一日のためにそんなにお金を使うより、新婚旅行とか、新居に必要なものなどを買った方がいい。
堅実な最近の若者の姿がうかがえます。
ゲスト問題は多分、一番難しいと思います。
私の時も両家の呼びたい人数が合わず、本当に悩みました。
限られた人数の中で、職場などはどこまで呼ぶかが難しいし、友達も線引きが難しい。
今は円卓が多いですが、私の時は長テーブルだったので、座る順番を決めるのも大変でした。
私自身の結婚式
結婚式、私は30年以上前に一応、挙げました。
両家合わせて50人くらいの招待客。
本当はもっと人数を増やしたかったのですが、元夫との招待客の人数差が大きすぎて。
元夫は友人が少なく、職場の人も厳選するのが難しかったよう。
父親に押し切られ、まったく本人と面識のない、市会議員や県会議員を招待客に入れていました。
仲人さんも元夫の父親の知り合いという県会議員夫婦。
元夫の父親はとにかく見栄っ張りで、議員を招待すればハクがつく、自分が立派な人間と思われると信じていたような人でした。
お色直しは3回、ケーキ入刀もキャンドルサービスももちろんしました。
お色直しでほとんど席におらず、招待客のスピーチや歌なども全然聞けませんでした。
でも、当時はそれが普通のことでした。
1980年代から90年代の結婚式事情
ホテルウェディングが全盛の頃でした。
招待客は100名くらいが普通。
ドライアイスを焚きながら、ゴンドラに乗って下りてくる演出とか、シャンパンタワーとか、キャンドルサービスなんかが定番でした。
もちろんウェディングケーキ入刀も。
「お二人の初めての共同作業です」
なんて、司会者が言うのが定番でした。
花嫁が父親と一緒にバージンロードを歩いて、花婿に花嫁を渡すみたいな演出もありましたね。
仲人さんが二人の生まれた時から学生時代、結婚に至るまでの紹介を最初にして。
親戚のおじさんが乾杯の音頭をとって。
スピーチを何人かがした後は、歌を歌ったり、楽器の演奏、詩吟なんかを披露する人も。
最後は相手の両親に「これからよろしくお願いします」という意味で新郎新婦が花束を渡して、夫が一言挨拶。
夫の父親が挨拶して終わり…みたいな流れだったと思います。
招待状は〇〇家、〇〇家と連名で出していましたね。
その後、ハワイで家族だけを呼んで挙げる結婚式とか、海外で2人だけで挙げる結婚式も流行し始めました。
初めて招待された結婚式
友達が同級生の中で一番最初に結婚式を挙げた時のこと。
1万円の会費制でした。
事前に皆でお金を出し合って、バスローブの2枚セットを送っていました。
確か、1枚4万円くらいでした。驚
料理は円卓で真ん中にドーンと大皿が来るタイプ。
量も品数も少なく、あんまり食べるものはありませんでした。
帰りに引き出物として渡されたのは、ミッキーマウスの手鏡のみ。
あまりのケチさに皆、悪口を言っていました。
お祝いのバスローブに対してのお返しももちろんありませんでした。
この時、「食べ物の恨みは怖い。私は絶対、皆に非難されるような結婚式はしないぞ」と心に決めたのでした。
弟の結婚式
10数年前に弟がホテルで結婚式を挙げた時、仲人というものはすでにありませんでした。
お色直しは1回だけ、花嫁は最後まで皆さんのスピーチや歌を一緒に聞く。
ゴンドラはないけど、キャンドルサービスはあったような。
ただ、兄弟からの手紙というのがありました。
弟には私から、お嫁さんにもお姉さんがいたので、お姉さんから。
事前に書いていた手紙を司会者が読みました。
後はこれと言って特徴のない結婚式でした。
それでも弟曰く、「400万近くかかった」そうな。
最近は…
最近は結婚式に呼ばれることもなくなりました。
子供たちが結婚するとしたら、結婚式はするでしょうか。
多分、「もったいない」と言って、やらないような気がします。
昔は結婚は家と家がするもの、結婚式は親戚同士が顔合わせするためのものという意識がありました。
「これから、よろしくお願いします」
という意味が込められていたのです。
今はそういう意識はなくなっている気がします。
皆の考えがそれこそ、「多様化」しているのですね。
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