毒親というのは、「子供の毒になる親」のことをいうのだそうです。
干渉しすぎたりする親もいますし、反対に暴力を振るったり暴言を吐いたりする親というパターンもあります。
小学生の頃
私の母は私が小学生の頃、成績のみに関心があり、学校でのことや友達の話に一切関心はありませんでした。
夕食を作っている母の側で、子供の私は他愛のない話をするのですが、母はまったく聞いていませんでした。
それは子供ながらにわかっていたので、いつしか母に話すことをやめました。
父の方が結構聞いてくれていましたね。
そして、何か私が母の気に入らないことをすると、何日も何日も私を完全に無視するのです。
何も話しかけてくれないし、話しかけても無視。
子供ながらにこれはつらく、どうしたらいいのか考えに考え、反省文を手紙に書いて渡すとやっと許してくれるのです。
こんなことが何回もありました。
腹がたったからと子供を無視する親。
私は怒っているんだと子供に知らしめるためでしょうか。
自分の機嫌をとれということだったのでしょうか。
中学生の頃
小学校から成績が上位だったので、母は私に過大な期待を抱いており、その地域で一番偏差値の高い高校に行くことを半ば強制されていました。
中学入学の時に買ってもらったラジオ付きのカセットテープレコーダー(通称ラジカセ)にはまり、勉強もせずに毎日深夜放送を聞いていた私。
母は試験前になると、私が学校に行っている間にラジカセをどこかに隠していました。
ラジカセに心を奪われないように。
そんなことをしても、勉強する時はする、しない時はしないのに。
でも、私は反抗したりはしませんでした。
そんなことをする母を心の中で軽蔑していました。
中2の半ばくらいから徐々に成績が下がり、母からはしょっちゅうくどくどと
「あんたは一体どこの高校に行くつもり?〇〇高校でしょ。じゃ、勉強しなさい」
と説教されていました。
私は反抗もせず、「はい、ごめんなさい。勉強します」と答えていました。
高校の頃
母の成績至上主義にどこか反抗していたのか、やはりあまり勉強はせず、母の期待を裏切り、私は2番目の偏差値の高校に行きました。
どうしても1番の高校に行きたいと自分が願っていたわけではなく、その高校でなければいけないとも思ってなかったから。
そして、私は高校に入り、希望に燃えて吹奏楽部に入部しました。
楽しみにしていた部活だったのに、またしても母の邪魔が入ります。
「帰りが遅い」と毎日毎日くどくど言うのです。
高校から自宅までは交通機関や徒歩で約1時間。
少しでも早く帰ろうと私はまだ皆が一生懸命練習している中、部長に「帰らせて下さい」と言って、18時には学校を出るようにしていました。
それでもまだ、帰りが遅い遅いと毎日毎日言われました。
母は部活というものを理解できなかったのです。
「そんなことして、何になる」といつも言っていました。
「勉強が終わったら、まっすぐ家に帰り、親の手伝いをする」それが母の望む娘の姿なのでした。
あんまりにもうるさく言われることにうんざりして、私は2学期に入ってから部活を辞めました。
本当は辞めたくなかったけど、親の理解がなければ部活は続けられません。
一方、弟は高校で柔道部に入っていましたが、両親は部活を応援している様子でした。
私が大人になってそのことを指摘すると
「男と女は違う」
当たり前のことだと言ったのです。
短大~就職後
進学するにあたり、家から通える学校というのが一番の条件だったのでなかなか選定は難しかった。
小学校教師になるという目標は、母に気に入ってもらえたようで、教員免許が取れる自宅から通える短大に進学しました。
ここでも、早く帰れコールはしつこく、サークル活動など最初からあきらめてまっすぐ家に帰っていました。
休みの日に出掛ける時は、「どこに、誰と行き、何時に帰る」をきちんと言っていかなければ許可されませんでした。
この頃は短大から家に帰るのが5時半くらい。
母の手伝いをして夕食。
その後、食器洗いの手伝い。
お風呂もさっさと入らないと、しつこく文句を言われました。
就職してから、門限は22時。
5分でも遅れると締め出され、最低30分は家の前に立たされました。
1度、一緒に飲みに行った友人が酔いつぶれて、送っていったりしたせいで門限に遅れた時、帰った途端父に問答無用で頬を叩かれました。
その頃の私の願いは
好きな時間にお風呂に入りたい。
何も干渉されずに外出したい、でした。
女の子だから心配、それはわかります。
でも、だからと言って、口うるさく管理されれば家にいたくなくなります。
結婚してから
家を早く出たくて、24歳の時、結婚しました。
母の気に入る条件の男性ではなかったので、むろん反対されました。
母が求める条件は、大卒以上、両親健在。公務員などのホワイトカラーの人。
結局離婚しましたが、実家には戻りませんでした。
あの何もかも管理される家には戻りたくなかった。
私は母に対して、特に反抗することもなく、素直な子供だったと思います。
ただ、親から早く離れたくて結婚するというのは、やはり異常ですよね。
現在
私の母が毒親だったかどうか、こうやって文字にしてみると、結構イヤな親だったと思いますが、すべては子供が心配だったからと言われれば、それは仕方ないことだったのかもしれません。
母は田舎の人で、考え方も古かったし、部活だの友人のつきあいだのに疎い人でした。
だから子供のつきあいに対する理解が乏しかったのかもしれません。
親が毒親だったことで、自分の子供にも同じことを強いたりする人、心を病む人も多いと聞きます。
私は母のことで心を病んだことはなく、精神科に通わなければならないようなこともなく、仕事をし、自活できているので、母は毒親ではなかったのかもしれません。
今の母は、何かと私を頼りにし、何でも相談してくるし、私の意見をきいてくれます。
親というものは若い時は子供を支配しようとし、年をとると子供の意見を素直に聞くようになるものなのでしょうか。
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