人生は、選択の繰り返しです。
朝、何を食べるかという小さな選択から、どんな仕事をするのか、誰と一緒に生きるのか、どこに住むのかといった大きな選択まで。
私たちは毎日のように、いくつもの分かれ道を通っています。
そして、ときどき思うのです。
「あの時、別の選択をしていたら、どうなっていたんだろう」
「あの道を選ばなければ、もっと違う人生になっていたのではないか」
「今よりもっと幸せな人生があったのではないか」
そんなことを考えてしまうことがあります。
もう一つの人生は、いつも少し素敵に見える
「あの時、別の仕事を選んでいたら」
「別の人と出会っていたら」
「もっと早く何かを始めていたら」
「違う場所で暮らしていたら」
そんな「もう一つの人生」を想像すると、不思議なことに、そこには今より少し素敵な自分がいます。
仕事も順調で、人間関係にも恵まれていて、毎日を楽しそうに過ごしている。
けれど、よく考えてみれば、それは当然なのかもしれません。
私たちは、想像の中ではその人生の「うまくいっているところ」しか見ていないからです。
もし本当にその道を選んでいたら、そこにもきっと悩みがあり、後悔があり、
「あの時、別の選択をしていたら」と思う瞬間があったはずです。
つまり、私が今と比べているのは、
現実の人生と、想像の中の理想の人生。
それでは、今の人生のほうが不利なのです。
「今の選択が一番良かった」と証明することはできない
人生には、正解が書かれた問題集がありません。
「あの時の選択は正しかった」と、後から証明できるものでもありません。
別の道を選んでいたら、今より幸せだったかもしれない。
反対に、今よりずっと苦しい人生になっていたかもしれない。
どちらだったのかは、確かめることができません。
だから、「今までの選択が全部正しかった」と無理に信じようとしなくてもいいのだと思います。
それよりも、
「あの時の私は、あの時の自分なりに選んだ」
そう思えたら十分なのではないでしょうか。
その時は、その時の自分に分かることしか分からなかった。
持っている情報も、経験も、考え方も、今とは違っていた。
その時の自分が一生懸命考えて選んだ結果が、今につながっている。
それなら、過去の自分を責めても仕方がありません。
選んだ道を「自分の人生」にしていく
人生は、「正しい道を選ぶこと」よりも、
選んだ道を、少しずつ自分の人生にしていくことなのかもしれません。
あの時は良い選択だと思わなかったことが、何年も経ってから意味を持つこともあります。
逆に、あの時は「これで間違いない」と思ったことが、後になって違うと気づくこともあります。
人生は、選んだ瞬間に答えが出るものではないのでしょう。
長い時間をかけて、その選択に意味が生まれていく。
だから、「あの時の選択は正しかったのかな」と考えるより、
「私はこの道を歩いて、ここまで来たんだな」
と思ってみる。
そうすると、少しだけ過去の自分に優しくなれる気がします。
まだ選べる道は残っている
過去の分かれ道に戻ることはできません。
「あの時、右に行けばよかった」と思っても、もう戻ってやり直すことはできない。
でも、これからの分かれ道は違います。
これから先には、まだ選べる道があります。
だから、過去の選択を何度も振り返って、
「別の人生があったかもしれない」
と考え続けるより、
「ここまで来た私が、これから何を選んだら、少し人生が楽しくなるだろう」
と考えてみたい。
大きなことでなくてもいい。
行ってみたかった場所に行く。
会いたかった人に会う。
やってみたかったことを始める。
今までとは少し違うことを選んでみる。
そうやって、これからの人生にも新しい分かれ道を作っていけばいい。
「これが私の人生だった」と思えるように
「あの時、別の選択をしていたら」と思うことは、きっとこれからもあるでしょう。
それをなくす必要はないのだと思います。
「あっちの人生もあったのかもしれないね」と、もう一人の自分を少し遠くから眺めるような気持ちでいい。
その人生が、今より幸せだったという証拠はありません。
ただ、私はこの人生を実際に生きてきた。
嬉しかったことも、悩んだことも、失敗したことも、後悔したことも全部含めて、ここまで来た。
だから、
「今の選択が一番良かった」と信じられなくてもいい。
「これが私が生きてきた人生なんだ」と受け入れていけばいい。
そして、ここから先はまだ選べる。
人生は、過去の選択だけで決まるものではありません。
今日から先にも、まだたくさんの分かれ道があります。
いつか振り返ったときに、
「あの時、これを選んでよかった」
と思えるような選択を、これから少しずつ増やしていけばいい。
そう考えると、人生はまだ終わった道ではなく、
これからも続いていく道の途中なのだと思います。

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